
電動工具メーカーは、それぞれ代表的なコーポレートカラーが決まっています。HiKOKIは緑色をコーポレートカラーにしていますが、現在の緑色に至るまでには赤色を推していた時期もありました。今回は、日立工機のブランドカラー戦略の移り変わりと企業史についてのコラムです。
目次
HiKOKIと言えば緑色が特徴のメーカーだが

電動工具ブランドのHiKOKIのブランドカラーと言えば何色を思い浮かべるでしょうか。ほとんどの方は「緑色」を想像すると思います。
ブランドカラーは、企業のイメージを決める重要なものでマキタはマキタブルーと呼ばれる特徴的な青色、京セラはグレーに臙脂(えんじ)をアクセントに加えたカラーをブランドカラーとして展開しています。

HiKOKIは「HiKOKI Green Day」のような緑を意識したイベントを実施するほど緑色の展開を行っていますが、実はHiKOKIの緑色の歴史は浅く、過去には色合いが異なる緑色や赤色をブランドカラーとして展開していた時期もありました。
今回は、日立工機のブランドカラー戦略の移り変わりと工機HDの企業史についてのコラムです。
平成初頭までの日立工機は緑色、しかし色合いが異なる
ニカド時代の日立工機のカタログを見てみると、ほとんどの製品が緑色です。
ただし、当時の緑色と現在の緑色は色合いが異なり、少し暗めの緑色が採用されていました。緑の色合いについては、00年代の緑カラー製品でも安定していない時期があり、販売時期や地域によって色合いが異なっていたこともありました。

赤をプロ向け工具のブランドカラーにしていた2000年代

2000年代に入ると、何の前触れもなく赤色電動工具の展開が始まりました。この赤色展開が行われたのは2000年台前半から2011~12年の間だったかと思います。正確な時期は不明ですが、これはいつの間にか赤色の展開が始まって、いつの間にか終わってしまったためです。
当時の日立工機が展開していた赤色は「パワフルレッド」と呼ばれるピンク寄りの赤色であり、緑を差し置いてカタログ1面にパワフルレッドを飾るほどの推しっぷりでした。

コードレスだけではなく、AC電源式の電動工具もパワフルレッドで展開しており、当時は全ての製品をパワフルレッドに変えてしまうほどの勢いでカラー展開が進められていました。


企業ロゴも赤色、コーポレートカラーは緑色ではなかった
赤色の展開を行っていたのは製品だけではありません、僅かな時期ではありますが日立工機ブランドそのものも赤色で展開していた時期があります。その例として挙げられるのが日立工機取扱店の看板です。

電動工具ユーザーの方であれば、マキタ看板の近くに設置されていたピンク色の日立工機の看板に覚えがある方も多いと思います。この看板は、リチウムイオンバッテリー工具が展開されたときに各販売店に設置され、マキタ看板の隣が定位置でした。
現在、日立工機時代の看板は2018年のHiKOKIブランド移行時に販売店のロゴ入り看板の入れ替えが行われたため、この看板を目にすることは無くなりました。
長らくパワフルレッドを推してきた日立工機ですが、何の前触れもなく緑色展開へ切り替えてしまいます。緑色に切り替わった具体的な時期は不明ですが、インパクトドライバ WH14DBAL2からWH14DDLが販売される間の時期(2011~2013年)だったと記憶しています。

日立工機は2011~2013年の間にブランドカラーを緑色に一新した。
戦略?迷走?ある意味での日立工機らしさ
当時、長年続けていた緑色の展開を止め、なぜ赤色に方向転換したかの理由はわかりませんが、リチウムイオンバッテリー製品の差別化戦略や、当時の親会社だった日立製作所からの要望など複雑な理由があったのかもしれません。ただし、結果から言えば、当時の日立工機の赤色ブランド定着は失敗しています。
現在、HiKOKIはコーポレートカラー・ブランドカラー共に緑色に統一しており、販売地域・製品グレード等に関わらず緑色による展開を行っています。(ホームセンター向けモデルを除く)
HiKOKIが掲げている現在の緑色がコーポレートカラーとして定着したのは2010年前後です。こうしてみるとHiKOKIの緑に対する歴史は10年程しかなく、意外と浅いことがわかります。
緑色のイメージ定着はスムーズに進み、「HiKOKIと言えば何色?」と言えば間違いなく緑色が浮かぶほど親しまれるようになりました。この土台にあるのは、昭和の時代からからコツコツ続けた緑色の製品展開が実を結んだものであり、突然奇抜なイメージ戦略を行っても上手くはいかないという良い事例でしょう。
